理性の中に閉じ込めた愛を、もう一度呼吸する。

Re:mystyle|60歳から“変わる”じゃなく、“還る”人生へ。理性をほどき、愛で生きる。

【お願いできない私を卒業する】委ねる勇気が、自己信頼を育てる

「お願いできない私」から「お願いできる私」へ

こんにちは。ブログに来てくださってありがとうございます😊

今日は「お願いすること」についてお話ししたいと思います。

 

 

「お願いできない私」で生きてきた日々

私は長いあいだ、どんな状況でも「私は大丈夫です」と振る舞ってきました。
人に頼ることも、甘えることもなく、どんな時も一人で立ち続けるのが“強さ”だと信じていたのです。

「お願いする=弱さを見せること」だと思い込んでいたから。
どんなに苦しくても「自分でなんとかしなきゃ」と歯を食いしばっていました。

今思えば、それは自分を守るための“鎧”でした。
でも同時に、その鎧が私を孤独にしていたのです。

 

 

 

変化をくれた出会い

そんな私が変わるきっかけをくれたのは、ある人との出会いでした。
一緒に過ごす時間の中で、ふと「ちょっとお願いしてみたい」と思えた瞬間があったのです。

お茶目に甘えるような言葉を口にした時、驚きと同時に――
「こんなことを言える私、なんだか可愛い」って思いました。

その瞬間、私は初めて“委ねる勇気”を出せたのです。
たったそれだけで、心がふっと軽くなったのを覚えています。

 

 

 

社会に根づく「お願い=弱さ」という誤解

社会の中にはまだ、「お願いすること=弱いこと」という思い込みが残っています。
特に女性は「しっかりしなきゃ」「自立していなきゃ」とプレッシャーを感じやすい。

でも本当は逆なんです。
お願いできるのは、自己信頼があるからこそ。
「委ねても大丈夫」と思える土台があるから、人に頼れるのです。

お願いは弱さではなく、信頼の証
柔らかさや素直さがあるからこそ、人との関係は温かく、本物になっていく。

 

 

 

 

自己信頼のはじまり

お願いするという行為は、
「私はあなたを信じています」「この関係を信頼しています」と伝えること。

だから、お願いできるようになることは――
自分と他者への信頼が育った証なのです。

女性が柔らかく、素直に「お願い」と言える社会は、
男性にとっても安心できる場所になる。
そう信じています。

 

 

未来へ

自分に「お願いしていいよ」と許可を出せたとき、
世界が少し優しく見えるはずです。

「お願いできる私」になれたことは、私にとって人生の大きな転機でした。
これからもその変化を楽しみながら歩いていきたいと思います。

あなたはどうですか?
お願いしたいとき、素直に「お願い」と言えていますか?
その小さな一歩が、自己信頼を深めるきっかけになるかもしれません🌸

最後まで読んでくださってありがとうございました。



【ほんとうの自由へ──過去のわたしと手をつないで】わたしは今、わたしで在る

長いあいだ心の奥に沈んでいた影──それは「父との確執」でした。父が亡くなってからも消えなかった感情。それをどうにかしたくて、私は“精神世界”の扉を開きました。

 

感情の解放がしたかった

潜在意識、内観、心のデトックス……。心の泥だしにのめり込んだのは、自由になりたかったから。けれど、それだけでは「ほんとうのわたし」に辿り着けなかった。

歩みを止めずに自分の心を見つめ続けたとき、気づいたのです。──本当の問題は“父との確執”ではなかった、と。

 

自己肯定感の欠如に気づくまで

たしかに父との関係は苦しかった。けれど根底にあったのは「自己肯定感の欠如」。

母の言葉や価値観が“正しさの基準”になり、私は自分の声を聞くことができていなかった。母の思想を“真実”として完コピし、自分を見失ったまま生きていたのです。

 

理想信仰型の自己否定

私は「価値がない」と思っていたわけではない。

むしろ「もっと素敵な私がいるはず」と信じていた。

 

けれど同時に、今の私は「ダメだ」と感じていた──これが“理想信仰型の自己否定”。「理想の私」を信じながら、今の私を否定してしまう。だからこそ「頑張らなきゃ」「変わらなきゃ」と自分を追い詰めていたのです。

 

でも、本当の自己肯定感とは、理想を追いかけることではなく、「今ここにいる私」を、そのまま受け入れる力。この気づきに出会えたとき、心がふっと軽くなりました。

 

父と和解し、自由になれた

父への怒りも、母の影響も、私自身の否定さえも──すべてに「私が私に還る道のりだったのだ」と思えるとようになったとき、私はようやく父と和解できた。

 

もうこの世にはいないけれど、あの頃の自分に「よくここまで来たね」と声をかけられる今、私はほんとうの意味で自由になれたのです。

 

外見も内面も、どちらも大切に

長いあいだ、私は外見コンプレックスに縛られていました。太田母斑や体型、老け込み……それらは心の苦しさがそのまま表に出たもの。

でも今なら、はっきり言える。人は何歳からでも変われる。 外見も内面も、両方を整えることで、初めて「自分を生きている」という実感が生まれる。外だけでもなく、内だけでもなく──その両輪を揃えたとき、人は本当の意味で自由になる。

 

Re:mystyleの誕生

こうして私は「Re:mystyle」というコンセプトにたどり着きました。私を思い出す旅は、いつしか「自分として生きる人生」へとつながっていたのです。

これが、私のRe:mystyle誕生秘話。

 

ここまで全六話、お付き合いありがとうございました。

👉こちらで全六話ご覧いただけます。


 

【容姿コンプレックス克服】鏡と自撮りで“自己肯定感”を取り戻した私の体験記

容姿のコンプレックスに悩んでいた私は、「鏡を見るのがつらい」「写真に写るのが嫌だ」と感じていました。けれど、鏡と自撮りで自分を見つめ直すうちに、本当の意味での自己肯定感を取り戻せたのです。


容姿コンプレックスと向き合えなかった頃

中高生の頃、私は太っていて「醜い」と思い込んでいました。二重あごやお腹の肉、太い腕や太腿…。鏡に映るたび「ここさえなければ」と自分を否定していたのです。

さらに20代には、右頬に遅発性太田母斑というアザが出現。太っていた過去に加え、今度は顔のコンプレックスを抱え、人の視線が怖くて仕方ありませんでした。

今なら分かります。最大の問題は外見そのものではなく、自分を卑下し続け、自分を認めていなかった心だった、と。


関連写真 

cocoronodiamond.hatenadiary.jp

 

鏡を見ない=自分の存在を無視することだった

社会人になってから、忙しさとストレスで鏡を避けていた時期がありました。すると40歳目前で、母と姉妹に見られたり、妹の母に間違われたり——いわゆる老け見え地獄に。

 

思い返すと、以前は毎晩、翌日のコーディネートを鏡の前で合わせ、「よし、これで行こう」と納得できるまで自分を見つめる習慣があったのです。その習慣が消えた時、表情もエネルギーも曇りました。

 

植物に声をかけると元気になるように、人も見つめてもらうことで存在が満たされる。自分で自分を無視し続ければ、心も外見も枯れてしまう——私はそれを身をもって学びました。

 

関連写真 

cocoronodiamond.hatenadiary.jp

 

自撮りで“新しい私”を発見する

次に取り入れたのが自撮り

 

最初は「この年齢で今さら…」と抵抗がありましたが、勇気を出して撮ってみると、驚く発見がありました。

 

「へぇ、私ってこんな笑顔ができるんだ」「こんな表情もあるんだ」。意識を向けるだけで細胞が目を覚まし、表情が豊かになっていくのを実感。自撮りは自分を見つめ、愛でる練習であり、他人と比べない“自己肯定トレーニング”でした。

 

顔つきは“エネルギー”で変わる

顔の造作以上に大切なのは、そこから放たれるエネルギー
なりたい自分を描き、その気分で生きると、自然と顔つきが変わっていきます。20年の変化を振り返ると、年齢を重ねた今の方がずっと柔らかい表情。私は「老いる」のではなく、「熟していく」と感じています。

 

 

 

まとめ:鏡と自撮りは“自己肯定感”を育てる習慣

  • 鏡を見る習慣は「自分の存在を認める」こと。
  • 自撮りは「自己肯定感を育てる」実践(笑顔と表情の再発見)。
  • 外見と内面の両方に光を当てると、顔つき=エネルギーが変わり、なりたい自分へ近づく。

 

容姿コンプレックスで苦しんできたからこそ、私は断言できます。
自分を見つめることは、自分を愛することに直結する。
もし今、鏡を見るのがつらいなら、今日一度だけでいい——鏡の中の自分に小さく「いいね!」を押してみてください。そこから未来は動きます。